日本アカデミー賞の賞を総なめした「八日目の蝉」の始まりは、「ゴッドファーザー」と同じである。もちろん黒澤明の「羅生門」の真似でもある。

映画は得てしてそんなものである。

「ゴッドファーザー」は、ゴッドファーザー・ドン・コルレオーネへの訴え。

「八日目の蝉」は裁判官に。

「羅生門」は検非違使に。



どの映画も名作だが、「羅生門」は映画史上最高傑作であろう。格が違う。

芥川龍之介の「藪の中」が原作だが、「羅生門」も一部借りているだけなのに、題になっているのが、なんともいえない。



 「八日目の蝉」・・・・これは題名に意味がある。蝉は七日目に死ぬとされている。八日目まで生きる蝉は他人よりも多く世間を見ることができることの例えである。

また、赤ちゃんを堕胎せず、自分と同じ光を見せたいという意味とダブらせている。



 死んであの世に帰れば、あの世の上下で、上の段階の人間は、下界の様子を見ることが出来るという。

 蝉は、成虫になるまで、長い間土の中で暮らす。土から外界を感じていたのだろうか?



 人間の子供は、お腹にいる時に、外を感じるという。おぎゃーと生まれるのと同時に、以前の記憶がなくなる。そのかわり、祝福している霊を感じ、ニコニコと笑っている。



 「八日目の蝉」・・・・意味ある言葉だが、子供を奪われた母の気持ち。奪って母となった犯人の気持ち。奪われたことを知らずに育ち、母が葛藤のなか、信じる者が無くなった子供の気持ち。その子供が、不倫で子供が出来、その相談が出来ない葛藤。全てが不倫で子供が出来、不幸になっている様子を描いているのに、「八日目の蝉」の例えで終る悲しさ。



 「ゴッドファーザー」は、マフィアのボスの家庭の話。表は、怖い家業だが、家族愛の話。

 「羅生門」は醜い人間の欲の話。最後に見知らぬ他人の赤子を抱いて「自分が育てる」というシーンで、まだ人は捨てたものではないと安心させる映画。



 どれも、人間の醜さと、愛情を対比させる話である。

どれもが人間の姿であろうが、本来は善であることの証明であろう。



 本来悪無し。善だけが住める、この世である。この世は、善と悪が交じり合い、波動が荒い世界である。かなりしっかりしないと、住むことは難しい。でも本来悪無しを信じていけば、そんなに難しい事はなさそうだ。



その光が、「八日目の蝉」。羅生門のラストシーン。ゴッドファーザーのラストシーンにも通じる。



 「ああ、空いてて良かった」という昔のCMを思い出す。



悪が悪を退治するゴッドネエちゃんに感謝感謝!!