今年最後のブログです。
やはり、今年は3・11
釜石で、旅館の女将をしている、日本青年会議所の友人が
行方不明のままでした。
15年前に会ったきりで、年賀状は毎年貰っていました
行方不明の連絡が届いたのは、3ヶ月ほど前
花巻でお別れ会「緑莉(みどり)とゆかりのある人の会」
先日行って来ました
その家族の事が、天皇誕生日前日に放送された、番組でありました
「ゆかりの会」での彼女の写真が使われました
天皇両陛下は「あの旅館どうなっているのか」と心配され、現場まで足を運ばれました
皇族も良く使う旅館だったのです
地震後彼女は、姪子さんにメールを送っています
「自分は大丈夫」というメールでした
おそらく、その後の津波で行方不明になっておられます
その頃、体調悪く寝込んであったといいます
この青年会議所の一人がこの女将の携帯に連絡したところ、お姉さんに繋がるようなシステムにしていたため、お姉さんがとられ、行方不明と解り、いずれお別れ会をするということで我々にも連絡があったということです
名簿がなく、連絡先がなく、それでも、200人近くの人が参列されていました
独身の彼女の結婚式みたいな「お別れ会でした」
皇后陛下がこの旅館から見た浜辺に咲いた「浜菊」を気に入ってあったと聞きます
この「浜菊」は後に皇室に届けられたそうです
「浜菊」の花言葉は「逆境に強い」だそうです
ガレキになった東北・・ここに花を咲かせる花咲か爺になることを決めています
わたしがやったこと
3月11日後即、各団体に毛布や食べ物やガソリンなど足らない物を届けるために国などを動かせと指示
線香が必要な場所を見つけて、100万分を送る(一個一個にメッセージを付ける・腐敗場所があるため強くて花の香りでマスキング効果があるものを選ぶ)
4月一杯の間商品を決め、お店での売り上げ全てを義援金に
義援金募金箱を設置
義援金全て、ある東北のお寺に寄付(このお寺炊き出しとか・団扇を提供)
各団体に、今後の対策を久留米モデルとして発表できるように要請
私が個人で出来るのはこれくらいです・・・今のところ
この女将のお別れ会に出て、「死ぬことは生きること」と気付きました
彼女が死んだことで、様々な人たちに「生きる勇気」を与えてくれました
生きる目的は、皆に幸せになってもらう行為をし続けることではないでしょうか
これを言い換えると「世界をユートピアにすること」ではないかと思います
父が12月17日に危篤の状態になりました
もう今晩か明日の朝ということでした
いや違うこの人はもっと生きる役目があるはずだ
そのように思い、彼に言い聞かせました
人口呼吸の状態で、麻酔のため意識朦朧状態ですが、話しかけると動きます
これならば治ると思い、毎晩泊まり、話しかけています
医者によれば、肺の調子が良くなった、もしかしたら、人口呼吸器をとって、意識を戻せるかもしれない
今日はクリスマス
父には、もっと生きる使命と生きる楽しみをもっと理解してもらう
僕の愛情ももっと強く伝える
彼の持つ神性・仏性を掘り起こし、軌跡を起こさせる
キリストが、いざりに、「さあ立ちなさい」と言い、立ち上がることができ奇跡を起こしたキリストに「神様だ」と言ったが「私が奇跡を起こしたのではない、貴方自身が奇跡を起こしたのだ」と言われた
奇跡を起こすための後押しは出来ても、奇跡を起こすのは、自分の力である
だから「キリストの復活」とは人々が心の中で「神性」を取り戻すということではなかろうか。
私は毎晩、父の病院に泊まる
車椅子の母の所にも通い手伝う
母が言う
「ありがとう」
でも感謝するのは私である
「ああ親孝行が出来るまで生きててくれた、まだ足りない、もっと甘えて欲しい」
これが感謝と報恩の循環である
感謝し恩に報いると、感謝される・・心の輪廻転生である
この女将は「緑莉さん」という
天皇両陛下とは「浜菊」で縁があった
このガレキに花を咲かせるのは、「緑の力」であろう
ああ僕はその力の後押しをする「花坂爺」になる
もう行くなという老人がいたら「ええい離さんか、じじい」(お決まりの言葉、こんなのが好きなファンが要るから困った物である)って言ってやろう。
感謝感謝感謝!!!!!の年でした。
龍年・・・・来年もよろしく!!!!
やはり、今年は3・11
釜石で、旅館の女将をしている、日本青年会議所の友人が
行方不明のままでした。
15年前に会ったきりで、年賀状は毎年貰っていました
行方不明の連絡が届いたのは、3ヶ月ほど前
花巻でお別れ会「緑莉(みどり)とゆかりのある人の会」
先日行って来ました
その家族の事が、天皇誕生日前日に放送された、番組でありました
「ゆかりの会」での彼女の写真が使われました
天皇両陛下は「あの旅館どうなっているのか」と心配され、現場まで足を運ばれました
皇族も良く使う旅館だったのです
地震後彼女は、姪子さんにメールを送っています
「自分は大丈夫」というメールでした
おそらく、その後の津波で行方不明になっておられます
その頃、体調悪く寝込んであったといいます
この青年会議所の一人がこの女将の携帯に連絡したところ、お姉さんに繋がるようなシステムにしていたため、お姉さんがとられ、行方不明と解り、いずれお別れ会をするということで我々にも連絡があったということです
名簿がなく、連絡先がなく、それでも、200人近くの人が参列されていました
独身の彼女の結婚式みたいな「お別れ会でした」
皇后陛下がこの旅館から見た浜辺に咲いた「浜菊」を気に入ってあったと聞きます
この「浜菊」は後に皇室に届けられたそうです
「浜菊」の花言葉は「逆境に強い」だそうです
ガレキになった東北・・ここに花を咲かせる花咲か爺になることを決めています
わたしがやったこと
3月11日後即、各団体に毛布や食べ物やガソリンなど足らない物を届けるために国などを動かせと指示
線香が必要な場所を見つけて、100万分を送る(一個一個にメッセージを付ける・腐敗場所があるため強くて花の香りでマスキング効果があるものを選ぶ)
4月一杯の間商品を決め、お店での売り上げ全てを義援金に
義援金募金箱を設置
義援金全て、ある東北のお寺に寄付(このお寺炊き出しとか・団扇を提供)
各団体に、今後の対策を久留米モデルとして発表できるように要請
私が個人で出来るのはこれくらいです・・・今のところ
この女将のお別れ会に出て、「死ぬことは生きること」と気付きました
彼女が死んだことで、様々な人たちに「生きる勇気」を与えてくれました
生きる目的は、皆に幸せになってもらう行為をし続けることではないでしょうか
これを言い換えると「世界をユートピアにすること」ではないかと思います
父が12月17日に危篤の状態になりました
もう今晩か明日の朝ということでした
いや違うこの人はもっと生きる役目があるはずだ
そのように思い、彼に言い聞かせました
人口呼吸の状態で、麻酔のため意識朦朧状態ですが、話しかけると動きます
これならば治ると思い、毎晩泊まり、話しかけています
医者によれば、肺の調子が良くなった、もしかしたら、人口呼吸器をとって、意識を戻せるかもしれない
今日はクリスマス
父には、もっと生きる使命と生きる楽しみをもっと理解してもらう
僕の愛情ももっと強く伝える
彼の持つ神性・仏性を掘り起こし、軌跡を起こさせる
キリストが、いざりに、「さあ立ちなさい」と言い、立ち上がることができ奇跡を起こしたキリストに「神様だ」と言ったが「私が奇跡を起こしたのではない、貴方自身が奇跡を起こしたのだ」と言われた
奇跡を起こすための後押しは出来ても、奇跡を起こすのは、自分の力である
だから「キリストの復活」とは人々が心の中で「神性」を取り戻すということではなかろうか。
私は毎晩、父の病院に泊まる
車椅子の母の所にも通い手伝う
母が言う
「ありがとう」
でも感謝するのは私である
「ああ親孝行が出来るまで生きててくれた、まだ足りない、もっと甘えて欲しい」
これが感謝と報恩の循環である
感謝し恩に報いると、感謝される・・心の輪廻転生である
この女将は「緑莉さん」という
天皇両陛下とは「浜菊」で縁があった
このガレキに花を咲かせるのは、「緑の力」であろう
ああ僕はその力の後押しをする「花坂爺」になる
もう行くなという老人がいたら「ええい離さんか、じじい」(お決まりの言葉、こんなのが好きなファンが要るから困った物である)って言ってやろう。
感謝感謝感謝!!!!!の年でした。
龍年・・・・来年もよろしく!!!!