宮沢賢治は、アインシュタインの研究をしていたという。もちろん宇宙の研究も顕著である。

 生き物や鉱物の研究も熱心で、絵も描かれた。

そんな中エスペラント語を使われ、宗教もよく学ばれた。

 そこで「個人の幸せは、世界の平和なくしては実現しない」というような、思想が生まれたのだろう。

 

宮沢賢治は、裕福ではなかったのかもしれない。でも妹はバイオリンを弾き、本人はセロを弾いた。

 あの田舎で、その感性が出てきているのには、かなりの知識人であり、未来嗜好だったのであろう。

 なぜ裕福では・・という事を書かなければならないのか、というと、生前から外国でも知られていたということがあるからである。

普通外国人が知っているということは、既に日本で有名で成功し、漏れて外国にいったということが多いと考えられる。

しかし、そのような節は感じられないので、宮沢の見識の高さゆえ、その高さに感じる人が、必然的に感知するようになったのではないだろうか。

 

 何故僕が、今このようなことを述べたかというと、会社でこのような会話があったからである。

 日めくりのカレンダーを捲りながら、「ああもう12月、早いなあ」「早いですね」「毎年早くなっている。そして毎年こんな会話が出てくる。」「これはみんな感じているということは、地球の自転が早くなっているのではないか。だから、人間の寿命が長くなっているのでは。」要は人間の寿命は変らず、地球の自転が早くなっているため、歳を取るのが早くなったという事はないか・・ということ。

 

 笑って済む話だが、そのようなことを賢治氏はアインシュタインと共に考えていたのかなんて思ったからである。そして私のそんな疑問は、とっくの昔に解決しているのかも。



 美味しい食べ物を毎日つづけて食べたら飽きてきて食べたくなくなる。

お香の香りも、同じ物を毎日使っていたら、全く匂わなくなる現象が起きる。



人の感覚は当てになり、当てにならない。

 

こんな会話をした「秋なのに暑いですね」「異常ですねこの頃」。・・これってこの頃毎年している会話だ。

ということは自分の体験上、最初に感じた体験と違えば、違うという感覚があるのでは。

要するに、初めに動いた物をママだと思い感覚や、ファーストインスピレーションでその人のことを決め付けたりする感覚に似ているのかも。



いじめっ子はいじめっ子と決め付けてそのような眼で見るから、いじめないといけないような子になる。



イーハトーブとは岩手県のエスペラント語の読みである。そこを理想郷とした宮沢賢治「世界平和」の拠点としたかったのだろうか。



その岩手が地震の津波で覆われた。世界中から救いの手が伸ばされた。その手が硬くつながり、「細石(さざれ石)が巌(岩)♪」になる日が来るのか。

その「岩手」が理想郷になることを、賢治は理想としている。

 

「岩手」や「東日本」が復興し、理想郷になることが世界平和に繋がり個人の幸せになる。そうなれば、寿命が長くなっても、幸せな人生となる。

日本を世界の理想としたアインシュタイン博士の御霊よ、「岩手」が復興する事を

「祝って(岩手)」ください。



異常気象時の「雨ニモマケズ」の気持ちに感謝感謝!!