心と書いて「こころ」と読む

精神と書いて「こころ」と読ませる



身体と書いて「からだ」と読むこともある。



「我輩は猫である」から始まる小説ではないが・・・・

こんな書き方をすれば、何か哲学的な話かと思うが、そうではない。



皆さんは、「蘭奢待(らんじゃたい)」をご存知か?

正倉院宝物の中の宝物といわれる香木である。

正倉院では「黄熟香(おうじゅくこう)」と称されているものである。

ところがこの「蘭奢待」は「東大寺」の三文字を隠した雅名である。



このことは、大河ドラマ「お江」の中で「東大寺」という名で出てくる。

お江が信長から貰って来るというシーンである。

それを聞いたお市が、「それは蘭奢待である」と驚くシーンがあった。



この「蘭奢待」は足利義政・織田信長・明治天皇が切り取った後があるので有名である。

その明治天皇は、「薫烟芳扮芬として行宮に満つ」と言われた。



大河ドラマで香道指導されている方の父上様を存じ上げている。その方は天皇陛下の従兄弟になられるお方である。その方が「蘭奢待」を天皇の前で焚かれたという。



「とにかく芳醇な香りがかなり遠くまで漂った」と話された。毎日伽羅を焚かれた方がそう仰ったのだからよっぽどいい香りだったに違いない。



千年前の匂いはわからないだろうが??ところが、近年の調査によると、香気成分は安定して残存しており、今尚当初の香りを留めているという。



先日それを見に行った。正倉院展である。14年前も見てきた。その時はゆっくりと独り占めして何回も見られたが、今回は多くの人の中で見た。前回見えていなかったところもよく確認でき満足であった。



大河ドラマで本物の「蘭奢待」を正倉院から出して確認している姿を見せたからだろうか、または、香道が少し脚光を浴びたからか、とにかく興味がある人が増えたのはいいことだと思う。

正倉院展で雅楽を聞いた。この時、古き時代を感じる人もいるだろう。私は違った。 クラシックから入り現代音楽に夢中になる人がいる。その現代音楽の行き着くところはインドネシアに残るガムランの音や日本の雅楽であろうと感じた。

 その当時の技術は今を越えている。正倉院にある宝物を一つ一つ観察すれば、現代人では到底出来ない技術がある。



その技術を伝えていくために名前を残し、15代目などと呼ぶ。でもそれには新しい工夫が少ない場合が多い。



父の名に恥じぬ云々とよく言うが、それは何なのだろう。

名前に隠された違う名前。これを紐解くことが、我々の知恵であるかもしれない。



「我輩は猫である。名はまだない」



カンボジア人になった猫さん、ひろしという名をつけてくれて感謝感謝!!