このような時代に、見直される、極普通の道徳はどんな事だろうか?
「父母に孝養をつくす」
「兄弟姉妹は仲良く力を合わせ」
「夫婦は互いにむつまじくとけ合い」
「友人同士はお互いに信じ合い」
これらは、
小学校低学年に教えることであり、誰もが疑わない教えである。
もう少し頑張ってみると、
「人に対しては恭しく」
「自分の行いを慎み」
「広い愛の心をすべての人に及ぼし」
「学問を一心に修め」
「職業の習得に励み」
それによって
「知識や能力を開き伸ばし」
「人格や人徳を磨き上げ」
これぐらいになると、
大会社の創業者レベルかもしれない。
さらに
「進んで広く世のためを考え」
「ひとたび危急のときがあれば、忠義と勇気をもって公のために奉仕し」
「天地にきわまりのない国運を助けるようつとめる」
こうなれば、総理大臣級である。
そしてこのような道徳は、
「どんな時代でも世界何処でも通じる誤りのない教え」である。
このような教えがあった日本人の心を崩していく義務があったのは、
戦後のGHQであり、日本弱体化運動である。
この日本弱体化運動を推し進めていって、大成功させたのが教育者のグループであり、
その団体をバックにして当選しているグループが、
現在の政府を牛耳っている、政治団体である。
しかし原発を推進したのは、前の政治団体であり、大会社の物である。
しかも、危急のとき一番に逃げ出し、何の手助けも出来なかったのは、国の政治家である。
日本弱体化運動恐るべしである。
その教育の賜物が、まじめにお勉強に励んできた者共の、政治であろう。
ドジョウはどぜうと書く。ぞうぜいに似ていると人は言う。
「私達の古くからの祖先は、この国を広く遠大な志にもとづいてはじめ、深く厚い徳の原則を打ち立てました。国民は忠義の道を守り、孝養の心を尊び、全国民が心を一つにして、それぞれの時代にその見事な成果を挙げてきました。これは、私達の国の優れて麗しい国柄の賜物であり、教育の根本もまた、ここにあると思われます。」で始まり
「私も国民とともに、このことを常に大事に心にとどめ、みな同じように立派な徳をもった国民になるよう心から念願するものです。」明治23年10月30日と締めている。
その文章は、偏狭な民族主義の現われでなく、普遍的な道徳を目指し作成された。儒教でもなく、神道でもなく、キリスト教でもなく仏教でもない、しかしどの宗教でも受け入れられるものが書かれている。
われわれ、線香業界もこれに見習い、仏教・その他の宗教関係なく、ご先祖様に感謝し自分の反省を行い、謙虚さを身に着けるツールとしての御香を焚くことを広く薦めていく。
前回の風がそこに舞い落ちる。
嗚呼 明治の政治家に感謝感謝!!