「星守る犬」という映画は、ある人と映画の「ブッダ」を評論している時に、この映画を紹介され、知った。

 その人、「泣けるよう」との事。

 

最初の30分ほどは、どうも泣きそうな映画ではないのだが、と思いつつ、映画の撮り方が上手いことで、のめり込んできた。

 

ただ映画の最初の頃に出てくる、藤竜也がただ家の中をぶち破るシーンの表情の上手さで、泣けそうになった。

 

「星守る犬」の意味は、最後に分かるだろうと思っていたけど、途中その藤竜也が教えてくれた。

 

 「名月を取ってくれろと泣く子かな」小林一茶  を思い出すが・・・・

 

いつも、空を見上げ、星を見続ける犬のことで、絶対手に入れることの出来ない夢を追い続け、希望を持ち続けることの例えが「星守る犬」と藤竜也は教える。

 

この映画は、どんな事情のおやじと犬かは分からない所からはじまり、だんだんと事情がはっきりしてくる。そして結末だけがはじめにはっきりしているということ、このおやじと犬の同じ道を通って行く、主人公とをダブらせていく映像は見事だった。

 

しかしリストラにあい、病気を患い、離婚され元々苦手だった犬と二人っきりになる。

しかも西田ワールドは、明るく悲しみを誘っていく。この温度差が、上手すぎる犬の演技と重なって哀れな最後に、涙が止まらない。現代の三苦の経験者本人には、たまらないことだろう。

 

 その西田敏行演じる人の半生というより、死までの道のりの間が楽しい希望を見出す瞬間だったのか??

 

以前ブログに書いたように、星を見上げて、懐かしさを感じるのは。自分が以前そこにいたということを懐かしむか、先週書いたように、宇宙即我の境地の手始めみたいに、あの遠くの星も自分の一部であること肌で感じ取るということか。

 

その事を証明できる出来事に、自分のションベンを呑むと、健康になるという民間療法があるが、それは、ションベンが自分を全て回ってきて、その記憶を全て持っているションベンが元に戻そう・・自分を正そうという自然治癒力を発揮するからか??と勝手に思っています。

 

要は、宇宙と我は一緒の物で、星に懐かしさを感じるのがその証拠だ。自分の意識がその星にも居た記憶が戻ってくるということ。

 

「ブッダ」の時と一緒で、ロマンチックにいや普通に映画を見られない私の「星は誰が守る」のだろうか。

 

小便療法を教えてくれた林原の元社長に感謝感謝!!

 

来週は、徹子の部屋に出ていた「レディー ガガ」に注目しようかな