生々しい、映像が続いている時にこんな題は、不謹慎かも知れませんが・・・

 

311日の地震の日は、出張していました。12日は休日でしたが、被災地と東京のお得意先全てにFAXを出しました。

 

電話での対応はまだ無理で、ご迷惑かけてはならないという気持ちからです。お線香を被災場所に届ける気持ちもありますが、今はまだ、目の前で必要な物をと思い、待つことにしました。

 

TVでの報道で、毛布や着る物、水や食べ物・ガソリンや軽油などが足りていない、おそらく、医療関係・粉ミルク等の赤ちゃん用具も然り。

 

・・・と思い、義援金以外の行動を、私の関わっている団体、青年会議所・商工会議所等に、国に何か意見が出来ないかを問いました。

 

「日本青年会議所・日本商工会議所でそのような動きがある・・」というような答えをもらいましたので、とりあえず、「有難う」と言うしかありません。

 

しかし案の定、国の対策はなっとらん!!と思う諸兄も多いのでは、私が訴えたいのは、自分の子供が死にかけていて、物はあるのに、法の規制でどうのこうのと時間が過ぎ、死んでしまって、規制が取れて、「はいどうぞ」でいいのか・・と思うのですが・・。

 

被災後即、どの地域に何があっているのかを把握し、一番にやるのは何かを考え、次にどの地域に何と何を届ければよいかを把握し、とりあえず関係メーカーの在庫品を行政で買い上げ、必要な分だけ分け与える。同時に海外にも要請をし、コンテナで買い入れる。配付するトラックなどは自衛隊警察消防その他行政に依頼し足りない場合は、大会社に依頼する。

その残りの役目を、いろんな団体にボランティアを募り、行き先は、国に従う。義援金を一つにまとめ、先程の費用にあてる。

 

このようなシミュレーションができていたかどうかが問題であるのでは・・・・?

 

会社で、線香を被災地に送る決定をしていない時に、お客様からTVを見ていたら、足らない物に、「線香」というものがあったのでという事で、お金を頂いた。それを聞いていたほかのお客様も私もという事で、お金を出された。

 

そのお客様が何処であれば、線香も受け付けるという事で、頂いたお金の23倍の金額相当の線香をそこに届け、お金はすべて義援金に回した。

 

ところが届けてみると、受け付けていないとの事で、青年会議者等に聞いてもらい、受付は日にちを限っていたことが分かった。

 

市民の気持ちなので、早く届けたいと思い、またチャレンジします。

 

わたしが青年会議所等に送った書類の中で書いたのは、庶民レベルでやれる最大の事は、

被災後の、「心のケア」ではないかと思う。

 

漸く、個人情報うんぬんを軽くして、「助け合い補い合い」のある昔のコミュニティー作りを提唱し、行動が出来る状態になってくるのではと思う。

 

10数年前に私たちが提唱してきたことが、多大な犠牲の後現実化できる希望が出てきたように思う。

 

これにより、みんなでみんなを育てる、そして助け合い、補い合って生きる喜びを、子供も青年もお年よりも・・病気の人も、一人暮らしの人も・お金が無い人も持つことが出来、

自殺者・孤独死・心の病気も少なくなるのではないか・・・・。

 

この被災はこれからが、大変である、国内ばかりでなく、海外からの援助も心のエールも寄せられてきているし、この気持ちを声を大きくするのが、我々庶民の役目だろうと思う。

 

今週の御題「ガレキに花を咲かせましょう」そろそろ桜が満開になります。

それまでには、「枯れ木ならぬガレキ

にも、花が咲くように、みんなで心の応援をやり続けましょう。これは、自分の為にもなることです。

 

独り言

あああ政治が不安定な時ほど、大地震が起こるとは、本当だった。

関西の大震災は、誰が首相で、兵庫県県知事はだれだったか。

幕末の激動時代も大地震が江戸で起きている。

 

世界中の花咲か爺に感謝感謝!!「ここ掘れワンワン」の犬はいないものか??