不吉な話は、不規律ですが?「この頃葬式多いなあ」っという声が多くないですか?
先週は、友人の葬式。今日は友人のお父さんの葬式。続きますねえ。
私は51歳。友人も51歳。彼とは変な縁で、予備校で一緒になっただけで、お酒も一緒に飲んだことがありませんでした。なのに会話が面白い。私が、おちょくった事を言うと、ちゃんと言い返す。こんなに会話の幅が広くなる友人は珍しい。彼と不思議な縁は、彼の兄は、青年会議所で一緒。お亡くなりになられたお父上と、私の父はロータリークラブで一緒。伯父さん二人は別々の会社で、両方ともお得意先。いとこさんは私の兄と同級生。その旦那さんは青年会議所の先輩。お母さんと私の母もよく知ってござる。本人よりも周りがよく知っている。何年も会ったことの無い友人だが不思議と気になり、親友の気分。酒も飲んだことが無いのに。・・・・・・
昨年小学校と中学の共同のPTAの行事にて再会。その時、「名詞ばくれんか」と言ったので、やっていた。その後何にも用が無いのに「これが俺の携帯番号。記録しとってくれ」
「同級生が死んだばい。お互い気を付けておかないと」という、たわいも無い電話でした。
それが半年ぐらい前のこと。出張中に彼からの携帯が鳴ったが、出たのは「・・の家内ですが・・」大体想像出来るでしょう、次の言葉は。
想像出来るその言葉を聞いた後、「主人の友人関係が分からないので、携帯電話に残っていた稲生さんに架けています。」との事でした。
「・・さんに架けるけど、通じないから」「・・君はすぐに通じるようになるでしょう。高校の友達を知っているから、そいつに電話しときます。」その後通じなかった彼もつながり「小学校と中学の友人には全部電話する」との事で僕の役目は終了。
お通夜と葬式に出席し、彼が商売で契約終了後、突如死んだことが判明。
葬式でこんな気分になったのは初めてでした。
それは、「お前は、51年間よう頑張った。よく働いた。みんなに良くした。」
笑顔の写真を見ながら、いつも朗らかにして周りを明るくしていた彼を思い出しながら、彼に感謝の念を送りました。
その葬式で高校2年生の長男が、お別れの言葉を霊前に。
「・・・・・・。僕は、お母さんと、妹をしっかり助けるから心配するな」そのような事を力強く言われた。
その時ばかりは涙が出ました。その時です。「分かった。お前は、この子達の為に早く死んだのだな。その方が、彼らが強く生きていく。そういう死の役目もあるんだな。」こう思ったのです。「でかした、でかした。ヤッパリお前は、立派な人だ。だから長男も立派に育ったのだ。」そう思ってなりません。
この日から死を悲しまないように思ったわけです。
もう一つの葬儀。友人の父親ですが、友人が生まれたのが遅いので、もう94歳の死です。
この方も前の日まで元気でことっと逝かれた。
この方は、柔道界では大物です。50代の時に、講道館柔道8段です。ご自分の全盛期は戦争中でしたが、それでも、個人での優勝がいくつもあられますし、久留米商業高校全国制覇3回の時の監督でもあられます。勲五等も天皇陛下に頂いてあります。
「小説姿三四郎」の相手役として登場し敗れるその人は本当は、戦っていなかったということで、いろいろ調べられて、本を出版されたりしてあります。趣味も豊富だった事を、喪主の長男さんが、伝えられました。
本来喪主の挨拶は、一言ですが、94年の生き様を小説を聞くように、淡々と喋っておられました。
私も聞きたいことが山ほどあったので、話していただいて本当に良かった。
この家も、友人の関係だけでなく、私の両親の仲人が、亡くなった方の弟さんです。そのお子さんと兄が同級生です。久留米商業の同窓会会長を父がやっていた関係で、何かの賞を与える機会を父がやったことで、ご夫妻でお礼にこられたことがあります。
父はもっと前から、この方の柔道での話や、軍隊での経験を話してくれていましたから、随分前からの知り合いでしょう。
母方の祖父も柔道家で、加納治五郎先生からも教わったと聞いています。亡くなる前に、9段を頂いています。政治家だった関係で、勲四等を頂いています。という事での関係もあったかもしれません。
この二つの葬式で、考えさせられた、そう思います。
方や、若死に。方や長寿。
でも何か清清しい、お葬式でした。
お葬式で悲しむことは、生きている人のエゴかもしれない。
明るいお葬式もあっていいのではないか、そう思いました。
数日前、お得意先の営業の方も同じような事を言ってありました。
「自分の葬式は、お酒飲んでドンちゃん騒ぎがいい」と。
私も賛成です。焼く前に棺の中にお酒を一杯入れてほしい。そう思います。
葬式はその人の、卒業式。あっちの世界での誕生日。そう考えて、喜ぶ日にしたいものです。少し不謹慎ですか???
先ほどの友人の家族は泣いていませんでした。余りにも突然で、そんな気にはならないそうです。
あっそうだ、日本香堂の社長が言ってありました。「線香はあの世との携帯電話だ」と。
いつでもお話が出来ますよ。
彼のお通夜から帰って来たとき、車の照明がちらちらとなりました。「おい分かった。ちゃんとしちゃっけん」そしたら、ちらちらは治まりました。
ヤッパリ通じるんですよ。
今日の葬式の方は、何方もお泣きになる人は見かけませんでしたが、お坊さんが涙してありました。このお寺は父が総代を務めていた関係もあります。
よっぽど繋がり深い檀家さんだったのでしょう。
亡くなった方は戻りません。生きた人のための、宗教でありたい。
お寺さん、僕らに生き方を教えてください。
説教坊さんに感謝感謝??
あっそうそう先程の、柔道家の葬式での一言をご紹介いたします。
94歳の教え子達(75歳前後)の会話
「先生まで生きるには、後20年位生きらにゃいかんバイ。バッテン、そげん生きたら、病気ばっかりするケン国に迷惑かける。国も金は無かげなけん。」ちゃんちゃん