「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。・・・日々旅にして旅を栖(すみか)とす」(奥の細道より)

 

この間のラジオで、たぶん、「NASAの発表で宇宙生命体の可能性がある」ということを受けて「宇宙人はいるか?」という話の中でそれに似たことにタイムマシンが出来るかと言う話になってのことと思うが「タイムマシンは理論上過去にはいけないが、未来にはいけるそうだよ」って言っていた。

 

理論上では、未来に行けても、過去には戻れないというのもあるが、過去にも行けるという理論もあるそうだ。

もし過去に行けるとしたら、未来人がもうこの時代に来ているということで、彼らは何をしているのだろうか。

 

僕自身は、戦争を経験していない。でも兵隊で戦争に行ったという人はいた。

しかしその時代のことは経験していない僕は、戦争のことは本当にあったか調べようが無い。僕が何処から来て、何処に行くのかは、永遠に解らないことなのか。それも分からない。

 

奥の細道の冒頭では上記のようなことを書いてある。この風流人は、時間と言う観念も、旅人だと言う。そして自分もその時間と共に旅に出て、その風景などを、記してくれる。その感情を時空を越え、伝えてくれる。

その旅人と一緒にはいないが、その風景や、事情を詩にて伝えてくれる。まるで一緒に旅をしているみたいに。

一部であるが、タイムマシンに乗り、過去にはいける証明だろうか。

 

犯罪を犯して捕まっている人の、8割の人の家に仏壇が置いていないという。

犯罪を犯す人は、家族の教育に関係する事を、物語っている。

 

よく、「今の若いもんは」という言葉を発する人がいる。では誰が悪いのか。育てたのはその親と、周りの社会。であれば、大人達が悪いこととなる。

「過去」の自分が「今」自分を作り、「今」の自分が「未来」の自分を作る。

これは誰も曲げることの出来ない、真実であり、原理原則である。だから「今」が一番大事である。なぜならば、「今」が「未来」を作るからである。

と言うことは、「未来」は自分たちが作っているからもうタイムマシンで行かなくとも良い。

でも「過去」に行って、戦争になる火種を潰す事の為に、タイムマシンを利用するという事は必要かと思うが、これも考えてみれば、全人類が、反省という事で「過去の自分を全て捨て、新生した自分を「未来につなげて行けば、タイムマシンは要らない。

 「時空も旅人也」「これを栖(すみか)」として生きていくのが風流人の旅の考えなんだろう。

 

お釈迦様が、何年後の何処に生まれ変わると予言されてお亡くなりになられた。

如来がお生まれになられる時代は末法の時代という。

教えを説かれて、布教が続き、世界中に行き渡り、教えが曲げられ、勝手に一人歩きし、

人の煩悩に、引きずり回され、そして末法になるのは何時頃かと計算され、何処のどういう家庭に生まれれば、自分が悟り、布教できるか等がお分かりになり、未来を予言される。

 

このようなに過去も未来も分かるお人を、弥勒菩薩という。

 この世にて、未だ弥勒菩薩には、成れなくとも、「今」の努力で「未来」の自分を作ることが出来る。そして神から与えられた慈悲である、反省という行為によって「過去」の自分を捨ててしまえば、タイムマシンに乗ったのも同じであろう。

 

不況(ふきょう)で旅に出られない場合は、

布教(ふきょう)にてお布施をもらう旅に出ませんか、

お遍路を途中でお止めになった菅総理。

 

旅の途中で亡くなった芭蕉に感謝感謝!!