松本隆(作詞家・ドラマー)の特集をNHKでやっていた。彼は、東京青山生まれで、日本語のロックを目指していた、はっぴいえんど(細野晴臣・大瀧詠一・鈴木茂)のでドラマーをしていた。その前身であるエープリルフール時代に、細野氏がボブディランの英詩を日本語に訳して渡したのがきっかけで、作詞を始めた。
なるべく漢字を多く使い古い日本語や「です・ます」を使ったロックは、内田裕也との論争を呼ぶことになる。
はっぴいえんど解散時子供が生まれた彼は、歌謡曲の作詞家に転向するが、ロック関係者には、非難ごうごうだった。
しかし彼の出世作品「木綿のハンカチーフ」は歌謡界に衝撃を与えた。物語風になり、最後まで聞かないとわからない歌だ。ところがこの歌はボブディランの詞のパクリだということでも有名になった。
しかしその頃のフォークソングはほとんどボブディランの真似だし、そのボブディランの「風に吹かれて」もアメリカのある地方の民謡を少し歌詞を変えて歌ったということはあまり知られていない。
松本氏はその後、松田聖子や近藤雅彦の作詞をし、NO1ヒットが一番多い作詞家になっていった。
彼がユーミンに松田聖子の作曲を依頼したときの言葉は「ライバルに曲書かない!」だった。
このことの意味は、自分がいる「歌謡曲の世界に来ないか」・アイドルNO1である聖子ちゃんのことを、ライバル意識させ「女心に火をつけないか」という皮肉なユーモアだったのではないか。
ユーミンは名前を変えて曲を提供した。このことがきっかけで、ニューミュージックの人たちが、歌謡界に入ってきたのではなかろうか。
たとえば、加藤和彦率いるサディスティックミカバンドの後藤次利が沢田研二の「TOKIO」でレコード大賞をとったり、大瀧詠一が小林明や森進一等の演歌に曲を提供したり、日本一のギタリスト鈴木茂までもがアイドルに曲を提供し始めた。
よくよく考えてみると、「上を向いて歩こう」の作曲家は久留米出身の中村八大でジャズ出身である。もっと言うと、植木等の所属していた、クレージーキャッツもジャズでありながら、歌謡曲をヒットさせながら、コメディや俳優をしていた。その子分である、ドリフはビートルズの前座をして、歌謡曲・コメディ・俳優をしていた。その曲はいまだに小学生の娘たちも歌っている。
そして、「8時だよ全員集合!!」でやっているお笑いの方法は、15年程前のたけしに受け継がれた。
私の同級生の陣内孝則君もロック一辺倒だったのに、コメディアン風の俳優で成功している。
この間気になったのは、去年の紅白に「壊れかけたラジオ」という曲を徳永英明という人が歌っていた。その中で気になったのが、歌詞が「ラジオ」の時に発音は「ラジオ」で 「RADIO」の時に英語風に「レイデイオ」と発音していた。
発音で思い出すのは、ユーミンの旦那は、絶対音の持ち主といわれる松任谷正隆で、一度聞いただけで同じようにピアノで弾けるという人だから、アメリカ南部の曲を同じように弾いていた。そして南部訛りで歌っていた。
「上を向いて歩こう」の坂本九は、アメリカのバディホリィの歌い方を真似しているようです。先ほどの徳永英明氏の歌をよく聞くと、R&Bの歌い方をよく歌っていたことがわかる。
同じように、今のCMでカエラさんが、「リンガリンドン・リンガリンガリンドン」と歌っていますが、英語のGがよく聞こえてくるし、一拍おいて歌う感じがよく出ている。
さすがに、加藤和彦先生に「カエラは歌ガうまい」と誉められたことがよくわかる。それは一拍おいて「さー」からはじまる「タイムマシンにお願い」を歌っていたからではなかろうかと思う。
私が、Gの音が聞こえるといったのは、大瀧詠一のサイダーのCMの「リンガリンガリンガ」と歌っていたのが、英語を意識して歌っていたのを真似していたからではなかろうか。
そんなことを考えてみると、歌謡曲とロック系の垣根がなくなった今、本当に歌ガうまい人が、増えてきた。歌い方で、何系が好きだったのかわかってくるのではないか。
この絆を作ったのが、松本隆氏ではないだろうか。
彼は、90年代に入り、仕事をやめ自分の足りないところを勉強するといって、古典である、オペラやお能三昧だったという。
お香でも焚きながら、昔の音楽と今の音楽を聴き比べるのもいいエコに繋がるのではないか。・・・と思う今日この頃だ。
いい曲を提供するCMに感謝感謝!!