幼い頃、星を見て、何か懐かしさを感じ、心落ち着く自分がいるのを感じた。
今、それはどういうことかと、分析すれば、
そこ(星)には、意識があり、自分の意識と共通した体験があるのだと思うのは、私だけだろうか?
大人になってからは、少なくなった感覚だが、
初めて来た場所なのに、なぜか昔見たような光景で、懐かしさと、不思議な感覚になることが、しばしばあった。
または、「この場面は夢で見たことがある」という感じを夢の中で見ていて、「この場面は、いつか夢の中でそのことを体験する」という予想をしていて、現実になったときに、「ほら夢で見たよな」とそっと自分の不思議な気持ちの再確認することがよくあった。
これは、手塚治虫の火の鳥のどれかの作品で、転生輪廻の過去と未来が交錯し、そのイメージが時折出てくるのと同じだろうか、と思う。
または、荘子の「胡蝶の夢」のように、「夢の中で自分が蝶になり、ひらひらと飛んでいるのが本当の自分か?今の自分が、本当の自分か?」ということを考え、命のはかなさを感じることは、
織田信長が出陣のときや本能寺で最早これまでと「人間五十年化天のうちを比ぶれば夢幻の如くなり一生を享け滅せぬもののあるべきか」と「敦盛の舞」を舞いった時の、心境と同じだろうか?
このことは、人もその他の動物も植物も鉱物も、全てははかなく死んで行くものだが、意識は永遠に続き、全てのものに繋がっているということなのだろうか?
あの星の意識と自分の意識と、共通点があり、同じ体験をしたという記憶が記憶のそこにあるのであれば、この懐かしさはその星の意識と繋がる自分がいるということにはならないか。
話は変わるが、自分の小便を飲む治療法が以前話題になった。
岡山の有名なH原の社長もこの治療を勧めている。
小便は血液であり、身体の全てを通ってきた、記録があり、その記録で自分の体調を整えるのだということを聞いたような気がする。
ヒトは小宇宙であり、大宇宙に繋がっているということが本当ならば、
ヒトを大宇宙と思っている輩からすれば、その輩は、小宇宙であり、ヒトの体をぐるぐる回っていることにもなる。
その記憶を記録(データ)としてもっている、血液であり、小便が治療に役立つのだろう。
それを今は、波動水として、自分自身の波動水を作る機械を作っている会社も存在する。
この考え方は、オーリングテストと大昔からある水道管探しのオカルト的なやり方がヒントということだ。
もし我々が病気(特に癌)なったときは、その組織の意識が親分に対しての、反乱ということになりはしないか。
そしてその組織の意識が親分であるその意識の大宇宙に反省を促しているのではなかろうかと思う。
古代神道では、「カガミ(鏡)」の「我(ガ)」をとれば「カミ(神)」になるといい、夫婦間・親子などを鏡にして自分を反省する・・反省してしまえば、神に近づくということだろう。
それを考えれば、自分の臓器の細胞は「鏡」と思い、悪くなった場所に反省と感謝をすれば、よくなる方向に行くのではないかと思う。
話は飛びっはなしだが、この間、漢方薬屋さんで、「お香の煙は、幻想的で癒される」ということを言ってもらった。これはまったくそのとおりで、「煙の癒し」「炎の癒し」ということも、研究されている。
お香や線香を焚くときに、香り、煙・灰がでる、これは全部意味があるのだろう。
この意味・意義とこのものの、お役に立つ意識を大事にして、本物の製品作りをして行こうと思う。
せっかく縁があって、お香として世に出て行くのだから、少しでも世の中に役に立ちたいと、思っているだろうから。
お星様に祈りをこめて、細胞たちに感謝感謝!!