私はある会合に出ていた。しかし気になる事があったが、その事を忘れていたとき、皆が一斉に、携帯電話を取り出し、ある出来事を見始めた。あっ、これがワンセグって奴だ。そう、見ているのは、ヨナキムの演技だ。
下に解説の文字が出るので、完璧な演技だってことはよく分かる。ヨナにミスがない限り、浅田真央が金メダルが取れるはずがないと思っているのは私だけだろうか。ヨナの演技が終わるのと同時にその会合はお開き。
急いで車に乗り、TVをつけて移動した。真央ちゃんも完璧なトリプルアクセルを成功したことが分かる。しかし解説は、ミスが2つあったように伝える。しかし2つのトリプルアクセルを成功させたことも分かったので、たぶん銀は間違いないだろうと思った。
その夜家で見たTVでのインタビューでは納得のいかない表情の真央ちゃんがいた。得点のことなど分からないが、それほど、トリプルアクセルを2度も成功したことに意味があるのかと、考えさせられた。
しかしこのことは、東ドイツのカタリナビット選手と伊藤みどり選手の戦いで、片がついたのではないかと思った。ジャンプの伊藤とビットとは、歴史的な文化度の大いなる違いを感じた。ヨーロッパのクラシック音楽・クラシックバレーの優雅な生まれ持った伝統の違いを感じたのは私だけだったのだろうか。
伊藤はスポーツ、ビットは芸術としての取り組み。そう考えてみると、ヨナのほうが格段に人を魅了していた。ある時点よりヨナのほうが遥かに上になり、技術だけでなく精神の強さも遥かにヨナが勝っていると1年ほど前から感じている。しかしまだビットの芸術性にはかなわない。真央ちゃんも4年後はビット姉さんみたいに、色気と芸術性文化度を磨き、人に喜んでもらうことを必死に追求すれば、誰にも負けないものになるだろう。ヨナ選手に感謝する気持ちが大きくなればなるほど自分に磨きができると思う。(言う方は簡単だが)
相撲の双葉山は、「いまだ木鶏に足りえず」といって自分を戒めた。闘鶏で騒ぎ立てる鶏は大したことなく、本物の優れたものは木でできた鶏みたいに何があっても動じないという故事。そのような境地にまで達するのが人の道ということを朝青龍も知ってほしかった。ベースボールのイチロー選手だけは、そのことが分かっているのだろう。相撲取りの知人になぜ朝青龍が強いかを聞いてみた。(一人横綱時代に)答えは、相手を殺してやろうという気迫が違うということだった。誰か相撲道を教えてほしかった。
オリンピック選手が木鶏の境地に達するか、夢を金の上に何があるかもっともっと遠くを目指す何かがあれば、歴史に残る人となろう。
金(キム)選手がお金のために金を取ったなどとは思わない。韓国は一人の親戚や知人のために、全員が全力で全財産を注ぎ込み応援する風習がある。従って彼女は、それに応えなくてはならないのだろう。知人の武田鉄矢氏のディナーショーの楽屋に行ったと時に、一番看板の代わりはないので、病気やその他のことで絶対休めない、休めば何億というお金が稼げないし、その後ろにどれだけの人の生活が関わっているか分からないし、なんといってもファンの人の夢を奪うことにもなり変えない。ということを感じて帰ったことがある。
金を目標にしている選手も同じこと、このプレッシャーを押しのけて金以上をとるには、観客すべての関係者の幸せを祈り、自分も楽しむ余裕がなければならないのだろうとつくづく思う。
オリンピックの皆さんお疲れ様です。全選手と関係者に感謝感謝!!