弊社天年堂は、九州は福岡の久留米というところに有ります、古いお香屋です。江戸時代は三星屋という屋号にて、今は武家屋敷として保存されています、坂本繁二郎画伯の生家の隣に、お店を構えていました、その通りは庄屋通りといい近くには、全国総本宮の水天宮があります。

 

その横を大きな筑後川が流れており、水天宮の入り口の横に、瀬ノ下港という貿易港があり、ここから大川(家具で有名)を通り大きい舟に乗せ換えて、全国に筑後の国の物産を出荷していました。

 

その水天宮の花火大会は350年の歴史がある西日本一の花火大会という事で有名です。

東京の地下鉄の駅に水天宮とありますが、久留米が総本宮です。

 

その久留米の水天宮で、30年ほど前、「寅さん」映画の撮影がありました。その時大学生の我々は、3人程でエキストラに出たことがあります。その時の台本を見たら「田舎の祭りの風景」としか書いてありませんでした。残念!!

 

その水天宮にまつわる出来事は、明治維新の創案者、真木和泉の話は有名ですが、久留米の人も知らない話をお教えします。

 

 

 水天宮椿マップより

― 水天宮御祭神の一柱、安徳天皇は、壇ノ浦の戦いで入水され、御年八歳の生涯だったと国史には記述されています。ところが官女に守られ、生きて筑後に潜幸遊ばしたという伝承があります。筑後の豪族藤原種継は平家の旧臣で潜幸中の天皇に使えていましたが、その種継に玉江という娘がいました。世を偲ぶ天皇は千寿院という寺院に住まわれ、その境内の清水の井桁に寄り添う美しい椿の花が咲いており、天皇は「椿は八千代を寿ぎ、井桁は深き契を宿すとかや」・・と玉江への想いを秘めて仰せられました。天皇お付きの浄厚尼もならばどうぞと、玉椿をお手折りなさり、幾久しく大切になさりませと申し上げて祝福しました。こうして、天皇は玉江姫と契られたということです。

 

 

 このような伝説のある水天宮に今、38種類の椿が、本殿を囲んできちんと種類別に並んであります。

 

 こんど久留米では、2010国際ツバキ会議久留米大会・全国椿サミット久留米大会が同時開催されます。(320日〜24日)

 

 これは耳納連山(筑後周辺の山々)に多くの椿の古木や名木があり、久留米で育った椿が、シーボルトにより全世界に広まったことや、椿苗生産日本一ということで、開催されます。開催の主だった場所は、石橋文化センターや草野周辺ですが。この水天宮の伝説と平家を偲びここにも見に来て頂きたいと思います。

 

 ちなみに、私の妻の旧姓は平といい平家の落人だったと聞きます。その母方は、宇多天皇の流れといいますから源氏ですが、久留米の高良山に行けば、源氏の上に平家、その上は源氏と競争して屋敷を建てたと言います。その高良大社の宝物殿には平家物語の最古の写しがあります。

 

 やれやれ、歴史は面白くはかないものですね。

 

 きょうは、玉江伝説を偲び、お香つばき香のテスト品でも焚いて、椿のてんぷらでも食べようか??

 

 このつばき香は3月に、新発売です。ほのかに甘くて、お香っぽく作りました。