1月23日、祖父稲生森太の50回忌をしました。この方は、屋号三星屋、商店名稲生吉兵衛商店というお店を引き継ぎ、社名を天年堂という名前にした人です。この社名の由来は「わが事業、“天”と地と続き限り、“年”と共に栄えん」という事で名付けました。
祖父の高校時代の友人にブリヂストンの創業者石橋正二郎さんや元副首相・元衆議院議長の石井光次郎先生がおられます。彼らとはただの同級生という事ではなく、石井先生は私の生れた家である祖父の家に公職追放時代2・3カ月ほど居候されていたような関係で、選挙本部でもありました。
また、石橋正二郎氏が鳩山内閣を作る時に、祖父に「石井を政界に出すので、これに乗って来てくれ」と米軍機を用意したという話もあり、その時東京の石橋邸に一カ月ほど泊まったこともあるという事でした。この石橋邸にはロックフェラー夫妻も来てあります。
その時の石橋家にまつわるエピソードがいくつかありますが、金持ちでありながら実に合理的というのが祖父の印象のようです。その娘さんが鳩山家のドンでいま話題の人ですが、今でも実に質素な人柄と聞いています。
祖父は京都の鳩居堂の納入業者代表や、大日本除虫菊(キンチョウ)の社長とも親しくやはり納入業者代表もしていました。
その祖父の妹は夫と戦前にアメリカに渡り日系人として成功者ですが、その親戚の一人は、スタンフォード大学出身で、日本海軍の嘱託で参謀をしていた人がいます。山本五十六の小説に「彼がおったからこそ」という文がありますが、「アメリカと戦ったら日本は焼け野原になる」と公言していたということです。
この方は皇族ともゴルフをされ、戦後はマッカーサー元帥の公的文章の通訳をしたり、アイゼンハワーともゴルフの約束をした人で、漁港権を確保したという事で、大洋漁業の終身顧問をされました。
またその方の親戚にもなりますが、父の従兄弟でマサチューセッツ工科大学出身の日系人で、マッカーサー元帥についてGHQとして来日しました。
本土に来る前にある島で、先ほどの海軍参謀と会ってから本土に来るという事をしています。
父の従兄弟であるその人物も、皇族とのゴルフもした人です。GHQ卒業後日本に残り、ナショナルの松下幸之助さん等の日本の電機系製造会社に新しいテクノロジーを教えたと言っていました。これは24・5年前私がアメリカに行って直接彼から聞いた話です。その時70歳だったと思いますが、アメリカで新しい飛行機製造会社を作るので手伝ってくれという依頼がまだ来ていたという事です。
このような人々が祖父にまつわる人々ですが、坂本繁二郎画伯から絵を習い自分の初恋の人の絵を廊下に飾っていました。
このような祖父の生き方は、どうだったのか。細かいことはわかりませんが、あだ名を「学者」といい、教会でアメリカ人の牧師から英語を学び、店前を通った外人さんを呼び止め、英語で話をしたと聞きます。石橋氏も石井先生も郷土で一番信用ある人物だとほめていただいております。今から蚊取り線香が普及すると思った祖父は、八女郡や熊本宮崎鹿児島と線香原料の水車小屋を推進していきます。これは南九州の一大事業に発展しますが、独占しなかったことが、彼の経営哲学でしょう。「椨の葉は、郷土乃宝ぞ、心して 幹たおさしな枝葉のみ採れ」という線香原料の椨の木の取り方の歌を残しています。
これは地球環境の事を考えての事だろうと思います。
商売も独占せずみんなで長く続ける、業界のために働く、地域の振興のために一肌脱ぐ。まさに天年堂の名の由来を地で生き抜く人でした。私の伯父で祖父の長男が、日本一の線香屋になるチャンスがあり、工場計画をはかり、機械屋に半分支払を終えていましたが、祖父が反対し計画を進めることができませんでした。その後伯父は亡くなり、末っ子の父が今の天年堂を継ぐようになりますが、丁度戦争が終わり「戦争も終わったから俺は商売は止めた、弥平おまえがやるならやれ、やらんでも喰うだけの金はある。」と言って何も教えなくて父にやらせたそうです。父には得意先も教えず、行った先の流通の倉庫の荷札を盗んで、得意先を知ったという事でした。獅子の子を谷底に落としての教育だったのかもしれません。
このようにして「天と地と続く限り」の経営理念を突きとおした祖父には、なんと感謝をすればよいのでしょうか。
祖父の友人の石橋家は、どんなに優秀な人が出ても、経営にはタッチさせません。石井先生の孫を出馬させようという動きが会った時に石井先生は「馬鹿か!!」と怒鳴ったそうです。今の政界経済界の人に聞かせたいものです。
さて孫のできそこないの私ですが、要約祖父の気持ちの爪の垢ぐらいが分かり、会社の使命は何か?何が世の中にお役にたつか?何をすればお客は喜ぶか?地域が元気になるために何をすればよいか?同業界と競争せず、業界のためにもなるものはないか?ということであることを始めます。
以前から、線香原料は枝打ちしたもの、伐採したものの残りの利用を水車小屋にて(海外製も)粉にします。またほとんどが植林もやっています。
本当の国産の杉の線香は、森林浴ができ(フィトンチッドという成分が豊富)、精神が落ち着き、睡眠にもよく、スギ花粉症にもよいと言われています。
究極の杉の葉の線香は天年堂製で「水車でついた杉線香」として売っています。自然の香りとして大変評判です。
これができたのも、今後天年堂がすることも、祖父・父と続く、または丹波篠山から久留米に移り住み、店を構えて320年ほどの間の信用があったからでしょう。
ちなみに祖父稲生森太の葬儀委員長は、石井光次郎先生でした。
天年堂中興の祖、祖父稲生森太に感謝感謝!!ご先祖様に感謝感謝!!!