{黒船からみた日本人}

オランダ生まれのヒュースケンは、アメリカに渡り、通訳兼書記として、全権使節タウンゼント・ハリスと共に黒船で、下田に上陸する。(安政三年)そのヒュースケンは、フランス語で日記を書き、ドイツ語に翻訳されているものが発表されている。

 

それを読んでみると、アメリカを出港し、喜望峰を通り、シャム・香港・広州を経て下田に着く様子を、例えば果物のドリアンの説明までもが、事細かに且哲学的に絵画入りで綴ってある。

 

下田に着いてからの様子を「猛烈な台風が日本の沿岸に吹き荒れた。湾内の船はみな岸に打ち上げられた。下田の町はほぼ三分の一が破壊された。翌朝、前夜の破壊の後を見て回ったが、浜辺には帆柱が散乱し、倒壊した家屋や舟の破片がうずたかく積まれていた。しかし、日本人の態度には驚いた。鳴き声ひとつ聞こえなかった。絶望なんて、とんでもない!彼らの顔には悲しみの影さえもなかった。それどころか、台風などまったく関心がないという様子で、嵐のもたらした損害を修復するのに忙しく働いていた。」と書いてあり、日本人の教育の素晴らしさを事あるごとに、記している。

 

この文で思い出すのが、関西の大震災の時にパニックになりながらも、ここぞとばかりの盗人が往来しなかった、他国では考えられないと言われ事だ。

 

{日本人の心の教育の行き先は果たして??}

このように日本人の教育は、全国民に寺子屋なんかを利用して精神論を教育したことが、後にアインシュタイン博士にして、日本人を創造し残してくださったことに対して、神への感謝をし、日本人を尊敬するような発言をされているように、世界の人から評価されている。

 

私が、福岡教育大学附属久留米小学校の入学式の保護者代表としての挨拶に「昔と変わらず(私も卒業生)、日本人の心の教育をした頂くことを前提として、保護者としての学校への協力は惜しまない・・・」というような趣旨の事をさらりと先生たちと保護者に依頼したことが有る。

 

入学式の様子をみていると、校長先生はじめ高学年の生徒さん達の態度は本当に涙が出るくらい素晴らしいものだった。

 

その後運動会が有り、他校ではなくなった、騎馬戦が有り芸能人のプール大会のような簡略したものではなく、まさに昔の騎馬戦そのもので、勝負がつくまでやるという姿勢にまたもや涙が出るくらい感動した。

 

PTA理事会でも話題が出て、痛々しくてかわいそうだったという意見に、いや久々に感動したという親さんも多かったという意見も出され、かわいそうという意見もある中でこのような意見を発言された役員さんの勇気にも感謝したい。

 

どんな教育が正しいかは簡単には発言できないが、今ベストセラーになっている本を紹介する。



本の紹介「学校の先生が国を滅ぼす」一止羊大 産経新聞出版



我々が通っていた時代の、福岡教育大学附属久留米小学校のような教育が現在でもやれていますことを信じて、附小のPTAに感謝感謝。



*参考図書「ヒュースケン日本日記」青木枝朗訳 岩波文庫