武田鉄矢といえば、金八先生というイメージがついています。その武田鉄矢は教育実習で私たちの学級の担当になりました。その実習の時の経験を金八先生に生かしたと、本人直々に聞いたことが有ります。その学級は、福岡教育大学附属久留米小学校6年菊組、担任の先生は糸井清先生です。その糸井教官の印象が強烈で、武田先生は、今もいろいろなマスコミで、紹介してあります。武田先生が気に入った授業の内容の一つを紹介しますと、子供たちに、新聞を持って来させ、その新聞の広告をハサミで切らせるという授業でした。子供たちは広告の多さに驚くという仕組みです。そのことで、何を子供たちに伝えたいかといいますと、マスコミはこの広告のお陰で飯を食っているということです。であれば、この会社の悪口は言えないし、もしかしたら、思想の操作もできるんではないかということです。低学年には外に出て、100個の石ころを拾わせて、「100個って多いんだね」と数の重要性を体験させる。社会の授業は教科書は使わず、テーマを決めそのテーマで思い浮かぶことをカードに書かせて、4人のグループでまとめて発表するといった詰め込みでなく、考えさせる授業が多かったと記憶しています。そして男の子は勉強ができても、相撲が強くないといけない、ということで隣のクラスの男子と相撲を取らせ、勝つまで帰るなということをさせていました。女の子は気が利かないといけないということで、入社試験という設定で、面接時わざと本を床に落としておいて、呼ばれてそれを拾ってくるかを確かめるということも教えて頂きました。そのような糸井先生がどうして今も武田鉄矢氏に「自分の憧れ」と言われているのでしょうか。それはこのようなことがありました、糸井先生が、武田先生に「あんた、教師になる気はなかろ」と言われ図星だったけれども、試験を受けに来ている手前、「いいえ」と答えたそうです。でも糸井先生は笑いながら「うんにゃ、なるきはなか」と言い切ったそうです。その武田実習生に優を上げるのですが他の先生が「なんであげな人に、優ば付けたのですか」と聞かれると「武田は100年に一度出るかどうかの逸材ですバイ」と答えたそうです。武田先生に「あんたは、子どもの心を引き付ける力ばもっとる。文部省の学習指導要領からはずいぶん外れとるバッテン」「教師はそれが一番大事タイ」その後この先生は荒れた中学の教頭・校長となり二つの学校を立派にしたということで評判になりました。その糸井先生が退官されるとき、俳優の重鎮になっていた武田鉄矢氏が駆け付け、講演をされましたその講演料は久留米ラーメン一杯です。

その時に糸井先生に聞きました。「いまから武田先生や糸井先生みたいな先生は出ますか?」

「出らん

「何故ですか」「いま俺たちは大学に通らん

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 いま私は、その小学校の保護者のクラス理事をしています。保護者の中ではダントツ年配者です。(校長先生より年上です)運動会で教育実習生と話しました。あんなに若かったのかなー武田先生???

6年菊組の出会いに感謝感謝!